命は避(さ)るもの

身体は何歳になっても過去の痛み、傷を
抱えているのです。

治療でもどのレベルにアプローチしてい
るかによって全く違うのです。

根源的なことを行なっておくと

魂が離脱し亡くなる時には、本当に安
らかに気持ち良く、軽やかに逝けます。

命は亡くなるものではなく避(さ)る、
遷(うつ)るものです。

そして来世、負債のカルマを待たなくて
済みます。

治療(キュア)レベルには薬師如来的に

治療レベルを超えた死期を迎えた人達に
は、

緩和(ケア)レベルで阿弥陀如来的に行
い、死に向かう不安を和らげるのです。

勿論、両者は分けることなく死生一如に
働いています。

天来の人達は、死も生も単なる連続した
変化「化」に過ぎないという死生観で生
きて来ました。

ご家族と

どんな人生を送って来たのか?

生きるとは?

死とは?

何を大切に生きて来たのか?

健康な時から話し合いをしていますか?

真は家族とは行なっています。

母(85歳)の意向も聞いています。

カテゴリー: III-08-老いの死生観 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です